言棚〜シェアで伝える〜

心に響いたり、役立ちそうな記事をシェアするブログです

タイミングは違えども、死は平等に訪れる


 


大人が諦めが良いのは、無限ではないことを知っているから

これは私も昔と比べたら強く感じるようになりました。
特に今は高齢者の方と接する機会もグンと増えたので、余計に強く感じるのはあります


ショックな事とか良くないことが続くと、気持ちもグッと底に落ちてしまうのはある


ただ、時間と生命の期限は止まることがなく進む

身体が動かせないくらいなら、まずは休んで体力を取り戻すことが第一優先


少しずつでも身体が動かせるのなら、次はやれることからやってみる

何かをやるにしたって、体力が無いとすぐにガス欠になっちゃうから、ご飯をしっかり食べることからでも私は良いと思う


動くのも動かないのも自分が決めて良いことだけど、生命の期限はいつかは訪れる


私は、なるべくやりたいものをやっちゃいたいので、日々出来ることをしております!
(因みに今日は誕生日なので、ケーキ買ってきちゃったぜ)









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死なない人はいない


 


分からない事といえば、死が訪れるタイミング

こればっかりは、誰にも分からない 



逆に、死がいつか訪れる事

これについては、身近に死別した人がいないなら、歴史の教科書とかを見ればすぐに分かる


どんなに有名な人でも、どんなに立派な人でも、等しくいつかは別れの時が訪れている



だとしたら、死は自分も周りの人もいつか訪れるものとして考える



そりゃあ、永遠の別れは辛いし寂しいよね

私だって数年前に急死した方との別れの時は辛かった…


でも、だからこそいつどうなるかは分からないってのを改めて感じたし、今の時をもっと大事にしたいって思えたのはある


このブログだって、きっかけは自分の思った事を何かの形で遺しておきたいってのがあるしね


だから私は、書けなくなるような事が起きるまでは、何かの形でこれからも想いを遺していくつもりです








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話ができなくなった場所を、居場所にはしなくなる


 



人は、自分が居心地が良いと感じる場所を居場所にする


別れの話が出た時って、もうそこにいる人とは話も出来ないし、一緒にいるとストレスばかり感じてしまってるから離れたくなっているんじゃないかな


例えば、学校や会社の人が無視とかでこちらの存在自体を排除するような場所なら、話なんて出来ないから他の場所に出ていきたくなるみたいな感じ


記事に出てくる弟さんが「死にたい」ってお姉さんに連絡を取ったって事は、お姉さんのあなたにならその話をしても大丈夫かもしれないって思いがあるんじゃないかな

お父さんに対してはそんな事を言わないだろうしね


『死というのは絶対にダメ!!』って思いが出てくるだろうけど、弟さんにとっては死以外の方法が見えなくなっている状態かもしれない


どの結果を選ぶのかは弟さんの決断次第だけど、話を聞いて思いを伝えた上での決断なら、弟さんが死を選択したとしてもお姉さんの責任では無い


本人が考えて選択したものならば、私は一般的に見て良くない方法だったとしても、その選択を受け入れる事が相手を受け入れる事になるんじゃないかなと思います


死は嫌だけど、相手が死にたいと言っているものを否定するって事は、相手の話を聞いていない事になる
そういう意味でちゃんと向き合って話が出来る人がいれば、そこを居場所として生きていく選択をする可能性も出てくるのかもしれませんね









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誰かの心の中に残るということも、生きた証の1つ

 





私の中にも、数年前に突然死でこの世を去った方がいます

その人の死がきっかけで、ブログを書き始めたんだよね
それがなかったら、ブログを書くこともなかったかもしれないな…

あまりにも突然であっという間の別れだったから、余計に気持ちが落ち着かなかったのもあるかな



人によっては、こんなにすぐに最期の別れが来てしまうこと

その時が分からないからこそ、今一緒にいられる時間は大切なんだってこと



『死と言うものに触れたから、生きた証を拾い集めておきたい』

その思いが強くなりました

因みに、このブログもある意味私の生きた証でもあります



そんな感じで、別にたくさんの人に【生きた証】を残せなくても、誰かの心の中に自分の存在が残り続ける

そうなったのなら、生きた証は残したことになるんじゃないかな




私はこれからも書ける状態の時はブログを書いていくけど、触れ合った人についても書ける範囲で書いたりする事もあるかもです

その場合は、私の生きた証の中にも触れ合った人の記録が刻まれるので、もし私と繋がりたいって人がいたら教えてくれよな☆







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相手の人生の判断は相手が決めたことなら、他の人の責任じゃない


 



他人からの危害とか、偶然による不慮の事故みたいなものは、本人の意思や判断ではない


でも、本人が決めて行動に起こしたこと
それは本人の意思を尊重するって視点で見るならば、もしその行動が死だったとしても誰か他の人の責任になるのかな?

どんな形になるかは分からないけど、私自身だっていつかは死が訪れる時が来るだろうしね


弱さを出すのは、自分の出来る範囲を出すことだから、出来ないものを出来ないっていうのは別に悪くもないしおかしいことだとも思わない


私も今は、慣れない仕事で身体がついていかなくて痛みが出たから職場の人に相談したりしてみたしね

(結構みなさんも同じように身体の痛みとかを経験しているみたいで、近くの病院とか、マッサージ方法とか教えてもらえたりしました)


だからといって、他の人に自分の弱さを押し付けたいわけではないけども、今の状況的に痛みが引いてくるのと身体の耐性が付くまでは、無理しないで他の人の力を借りるのが早く治す方法かなって思ったり



ナリさんの記事のお母さんは娘さんに
『私は弱いのよ!だからあなたが助けて!!』って
泣くことで表してる(無意識で子供を支配している)


子供って、親を喜ばせたい!っていうのがめちゃくちゃ強いから
『お母さんを助けなきゃ!!』
って、お母さんの願いを聞いてあげちゃう
(無意識で支配されちゃう)



そこを断ち切りたいならば、
【お母さんは強いから私が手を出さなくても大丈夫!】
って信じて、泣いてきたりしてもなんでも聞いてあげない



介護とかでもその辺りって関係してきそうだけど、
自分自身が出来ないことならば、施設とか他の人に
頼る事は私は悪い事だとは思わない


逆に【人を介護する】って、仕事でも大変だけど、仕事じゃなければもっと大変になる事は多いし、負担も多くなる


本人の意思は勿論大事だけども、1人で生活出来ない状態なら誰かの助けは必要になるわけだしね

それでも本人が【1人で生きたい!】なら、それはその人の判断になる

その代わり、生活で不便な事が出てきても本人で対応する



それによって何か起きたとしても、私は相手の判断と意思を尊重するならば、結果を誰かの責任にするのは違うんじゃないかなって思ったり


この辺りは人によっては冷たく感じたりするかもしれないけど、私は他の人の人生の責任までは取れないので、相手が本当に望んだ道ならば、その道の選択を受け入れてあげたい

そう考えています







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