相手が生きていてまだ会える状態ならば、会って話したりも出来るけど、別れを迎えた人に会うことは出来ない

生きていれば感情だって環境だって変化していくものだから、相手の事を思い出すような出来事は嫌でも押し寄せてくる時はある


そんな時は、自分の中では強く相手の存在が残っているからじゃないかな

そこまで強い思いが無ければ、深く悲しんだり寂しくなったり辛くなったりなんてしないだろうしね


そう思わせちゃうことがある時は、相手があなたに対して存在を思い出して欲しいとか、実体としては会えないけどあなたに遊びに来てみたのを知らせてる


そんな風に考えてみると、肉体はもう存在してなかったり、動かせないから行動する事は出来ない
だから、別の形で!っていうような、相手なりのこの世界に存在した証を残したいっていうやり方なのかも

悲しいとか寂しいのは当然あるけど、相手があなたに知らせるために来てくれた感情だと思ったら、なんか愛しさも感じられるような気がしたのは私だけかな?


別れは辛いけど、忘れなければいつまでも相手の存在はあなたの中で生き続ける

悲しさも寂しさも生きて一緒に過ごした時があったから生まれた

その思いも相手の存在が生み出したものなら、相手の一部として感じていく


そうして向き合っていくことが、実体は一緒じゃなくても相手と一緒に生きる事に繋がっていくんじゃないかなって私は思います






読んで何か響いたことがあれば応援クリック頂けると励みになります

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村